子どもをめぐる状況

ある町で、スポーツ好きのおじさんたちが同じ市内に住んでいる小・中学生に土曜日の午後に、サッカーを教え、できればいくつかのチームをつくって、対抗試合ができるようにしょうと、相談し、子どもたちの参加を呼びかけたのですが、集まってきたのは4〜5人に過ぎなかった、という話を聞きました。

その町で該当する子どもたちは少なく見積っても4〜5000人はいるのですから、0.1パーセントにすぎないことになります。

また、世界各国の青年意識調査によれば、平成19年度の場合、ボランティア活動をしているのは、アメリカやスウェーデンの青年は20%あまりなのに対して、日本の青年は、わずか3%あまりでした。

では、子どもたちは土曜日や休日には何をしているのでしょうか。
調査項目にはそのこともふくまれていたのですが、「(休日は)昼ごろまで眠っている。あとはファミコン、マンガ、そして試験のための勉強」と答えたのが85パーセントにも達していて、「家事を手伝う」といった項目に○をつけたのは、0.1パーセントにすぎませんでした。

「子どもは変わった」といわれて、久しいのですが、身体を動かさず、友と語らず、ほとんどの子どもたちは屋内の個室で、友達とあるいは独りで静かに過ごしていることが推察されます。

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現在高齢者のことが問題にされていますが、高齢者の問題は高齢者や成人だけのものではなく、じつは子どもの問題なのであって、今子どもたちがどのように生きているか、どのように育てられているかが鋭く問われているのです。

生き生きと生きるとは、内面から湧き出るいのちの躍動を意味します。そのような人は、未来に夢や希望をもつているといえます。

自分を尊重するとは、他者を尊重することですから、よく生きている人ほど利他的に生きるのです。

肝心のことですが、「希望をもって」という希望とは平和の実現ということでもあります。子どもが抱く希望が利己としての財産や立身出世であったり、狭い範囲内の幸せであったならば、「木を見て森を見ず」のたとえどおり、自分自身や一部は全体は崩れるのです。自分さえ良ければという突出は全体を保持でなくなるからです。

今、多くの子どもたちには「希望」がないし、仮にあっても利己中心的です。
進学を目指して「頑張っている」子どもは生き生きしているし、芸能人(タレント)になりたいと願っている一部の子どもたちも張り切っているように見えます。他に打ち勝つか、成績を向上させたいという動機による場合がほとんどであって、世界的規模で利他の活動に励むため、ということは稀なのです。子どもたちは、他を尊重しているとはいいがたいようです。

今、子どもたちの心は蝕まれているといえるのではないでしょうか。それはすなわち、大人社会の反映なのですから、大人たちのこころもたくさんの痛みを抱えているということができます。

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