日本人と聖書

 聖書という名前を知らない人は、まずいないでしょう。しかし、聖書についての正確な知識となると、私たち日本人は、きわめて心もとないように思われます。

 聖書は誤解されている、聖書はこれまでも現在も世界で最も多くの人が読んでいるものであるにもかかわらず、日本人の多くはその内容をよく知らなかったり、誤解している場合が多々あるように思われるのです。それは日本人が、過去において、聖書もしくは聖書的発想にほとんど接触をもたなかった例外的な民族であったことによるのではないかと思います。

 そのため、キリスト教圏、ユダヤ教圏、イスラム教圏はもとより、かつての共産圏も、ヘブライズムの影響下に成立していることにまったく無関心でした。そうした国々の基本にある世界観を知らずに、個々の問題を日本の常識で判断しても、その批判は、その当事国にとっては単なる非常識であるにすぎないことになります。日本の常識が世界の常識だと思い込むこと自体が非常識なのです。そしてこの誤解は、聖書的発想をもつ文化圏と摩擦なく接触することを著しく困難にしているといえます。

 改めて聖書がどのような書なのかを知っていただけたら幸いです。もしかしたら誤解があるかもしれません。先入観もあるかもしれません。キリスト教を名のるいろいろな宗教があって迷っている方もいるでしょう。あるいは、しつこい勧誘を受けてほとほと心労的に参ってしまったと感じている人もいるでしょう。

 そんな方の誤解や先入観を取り除き、自分自身で聖書を読んでいただけたら、このうえない喜びです。できれば、お近くの教会に足を運んでみみてください。当サイトが掲げるモットーは「聖書がすべての基準」です。ある牧師の教えが基準にはなりえません。または有名な神学者の教えも基準ではありません。またはある教派の創設者の教えや考え方が基準でもないのです。

 聖書には様々な倫理的、道徳的な教えが含まれています。教養を養うのにも役にたつでしょう。どんな動機でもかまいませんから、まずは聖書を読み始めましょう。初めての方は、新約聖書の最初のほうにあります福音書を読むことをお勧めします。

 しかし、聖書を読んでいて分からないところもあると思います。
聖書にも、
 伝道者ピリポが、エチオピアの宦官に「あなたは、(聖書の)読んでいることが、わかりますか。」と言った。

  すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。

 このように聖書を解き明かしてくれる人が必要なことも書かれています。正しく理解できなければ、聖書をいくらもっていても、それは無用の長物になってしまうことでしょう。
 是非、お近くの教会や牧師に連絡をして、聖書を学ぶ機会を作ってもらってください。

 静岡教会では、聖書を学びたい方には、個人的に時間をとって牧師がお伝えする時間を持つようにしています。お近くの方はご連絡ください。

 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。(2テモテ3章16節ー17節)