空しい人生からの解放

むなしい人生

ある人がブログで「何をやっても空しい」と嘆いていました。もし生きる意味や人生の目的を見つけられなければ人生に空しさはつき物かもしれませんね。なぜって?この世の中にはあまりにも悲しいことが多すぎますから。

旧約聖書の中に「伝道の書」という書があります。(新改訳は「伝道の書」と訳しています。新共同訳では「コヘレトの言葉」と訳されています。)この著者はすべて人間がやることは空しいと証言しています。人間の行いはちょうど風を追うようなもので、追っても追っても無駄であるとも書いています。人間の栄光も名誉はいずれは消えていくものでしょう。それを追いかけて生きるのは空しいと。死は誰にでもやってくるのです。栄光と名誉も死の時には風のように吹いていってしまうのです。人々の記憶の片隅に残るだけでしょう。最後にこの著者は次のように結論付けます。

すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。12:14 神は、善をも悪をも/一切の業を、隠れたこともすべて/裁きの座に引き出されるであろう。(伝道の書12章13節ー14節)

 この世界はいつまでも続くのではなく、
正義の神が、すべてに決着をつけるときが来るのです。
 神が正義であるならば、罪を犯した人を裁かなければなりません。
創でなければ、それは正義の神ではなくなってしまいます。

  人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』

  すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』

  こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」       (マタイ25:31~46)

 ここには、世の終わりのとき、それまでに生きてきたあらゆる人たちが神の前に出て、裁きを受け、永遠のいのちに生きるものと永遠の刑罰に入るものが分かたれることが記されています。

 その中間はありません。私たちも含めて、すべての人が神の裁きの座に着くときが来るというのです。その裁きは私たちの永遠を決定するものとなります。

 人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている。                 (ヘブル9:27)

 聖書が書かれた目的は、
「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」    (ヨハネ20:31)

 であることを記しました。
 罪の中にあって、そのままでは死と滅びを免れ得ない私たちを救うために、聖書を与え、この歴史の中に、救いのみわざを実現してくださっているのです。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」           (ヨハネ3:16)

 あなたもこの神様の愛を、受け入れませんか。