聖書の読み方1・目的

 多くの人が
聖書を読んでも挫折する理由は、聖書の解き明かしをしてくれる人がいないということです。

 ひとりで読んでみても、何が書いてあるのかよく分からない。
自分なりに、「こういうことではないか」と思っても誤解して読んでしまうという方がよくおられるのです。

 それでは、聖書は読んだけれど、聖書読みの聖書知らず、という事になって、その言葉が自分にとっての力にならないということにもなってしまいます。

 聖書を読む場合に、是非踏まえておきたいことのいくつかをあげておきます。

まず、一つ目は、聖書が書かれた目的についてです。

とても不思議に思うことがあるのですが

聖書って、いろいろな動機で読まれていることを知っていますか?

教養を得るため
成功・自己啓発に生かすため
ビジネスに役立てるため
歴史を勉強するため
科学的な見地から批判するため
小説として楽しむため
金言、名言をさがすため
欧米の文化・背景を理解するため
世界のベストセラーだから
世界最大の宗教の教典だから
etc

いろんな動機で読むことはかまいませんが、
聖書が書かれた目的を踏まえて読むことが必要なのです。

たいていの書物は、書かれた目的が
はっきりしています。

昨日は、ある本を基にしてアイスクリームを作ったのですが、
たとえば料理の本だったら
料理を作りたい人が読みます。

介護の本であれば
介護に携わる人やそれを目指す人が読むことでしょう。

映画の雑誌であれば
今公開中の人気映画を詳しく見たい人などが読むのです。

そのような書物は、
この本が何の目的で書かれたものであるのか
一目瞭然で分かるものです。

それでは聖書は、何の目的で書かれたものでしょうか。

このことが分からないまま、いろんな動機で
読まれているということもできます。

それぐらい懐の深い書物
とも言えますが。。。

もちろん第一義的には
キリスト教徒のためである
ことぐらいは認知されてますが

実はそのキリスト教徒ですらも

聖書がなんのために書かれたか
はっきり答えられない人が多いのではないかと思います。

ここで、その目的をはっきり踏まえておきましょう。

わかりやすくするため
2つの言葉にまとめます。

1つ目は。

「聖書はわたしについて 証しをするものだ。」
 (ヨハネによる福音書5:39)

この言葉はイエス・キリストの言葉です。
「わたし」は主イエス自身です。

主イエスは、聖書は自分について書かれていると語っています。

イエスの言っておられる「聖書」は、この時点では旧約聖書です。
新約聖書は後に書かれていきますが、新約聖書ももちろんイエス・キリストについて書かれています。

ですから、新約聖書も旧約聖書も
「イエス・キリスト」について書かれているということです。

2つ目は、
いよいよ書かれた目的です。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子
 メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名に
 より命を受けるためである。」
(ヨハネ20:31)

これはヨハネによる福音書の最後のほうに出てくる言葉です。

彼(ヨハネ)が福音書を書いた目的は

・イエスが神の子、メシア(キリスト=救い主の意味)である
 と「信じるため」

・イエスの名によって「命を受けるため」

この2つを
読者が得られるために書いたとはっきり語られています。

・イエスを神の子、メシアと
 信じるため
・イエスの名によって
 命を受けるため

結局のところ、聖書というのは、このヨハネ福音書が書かれた目的
に、集約されているのです。

これが、聖書全体が書かれた目的といえます。

聖書66巻のひとつひとつの書は
様々な人物により長い年月をかけて書かれましたが

聖書全体は1人の著者=「神」の霊の導きを受けて書かれたと
聖書は記しています。
→テモテへの手紙二3:16

どのような本でも尊重されるべきはまずは著者の言葉ですから

受け入れる、受け入れないはともかく、

聖書はそのような目的で書かれたのだ、ということを
理解しておく必要があります。

聖書を読んでも肝心なところが分かっていない。
ちょっと的外れ、
ということにならないためにも、

聖書が書かれた目的を踏まえた上で、いろいろな読み方をしたほうが、正しく読み進められると思います。

聖書がなんのために書かれたか
このことは前もって頭に入れて
おきましょう。

 信じるとはどういうことなのか。
わたしがいのちを得るとはどういうことなのか。
 聖書を通してさらに追求していただければと思います。