24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、

24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 

復活を信じるということは、これまで寝食を共にしてきた弟子たちにとってもなかなか難しいことでした。ここには、「彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので」と言われています。

 

「喜びのあまり」という言葉から教えられることは、この時点で、復活したイエス様を目撃した後には、彼らの心は喜びに包まれるようになっていたということです。

 

よみがえられたイエス様は、まさしく彼らがこれまで出会い、共に歩んできたイエス様に他なりませんでした。それでもまだ信じられず、不思議がっているので、「ここに何か食べ物があるか」と言われ、彼らが見ているところで焼いた魚を食べられました。

 

亡霊でも幽霊でもない、私は確かに復活したのだということを明らかに示されたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたが最初に人間を創造された時、罪も死もありませんでした。ところがアダムといわれる人間が神に背いてしまったために「罪と死」が入ってきました。それ以来人類は、罪と死の束縛のうちに置かれ、神の裁きを受けるべきものとなってしまいました、しかし、第2のアダムといわれるイエス・キリストは、人類史上はじめて罪のない生涯を送り、しかも罪のないお方が私たちの身代わりに神の裁きを受けて下さり、死に打ち勝って復活されました。あなたの御子によって死んでいた者がまことの生命に生きる恵みを与えられたことを心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。