20:41 イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。

20:42 ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。

20:43 わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで」と。』

20:44 このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

 

『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで」と。』という聖句は、詩編110編1節からの引用です。

 

そこには次のように言われています。【ダビデの詩。賛歌。】わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」

 

ここでダビデは、「わが主に賜った主の御言葉。」と述べていて、ダビデの主が2人いるように読み取れます。これは、父なる神が、イエス・キリストに言われた言葉と解することが出来ます。

 

ダビデは王様でしたが、自分には主がおられるということを良く意識していました。しかもここでは、三位一体の第1人格である父なる神と第2人格であるイエス・キリストを区別して述べているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、すでに旧約の時代より父なる神と子なる神がおられることが示唆されており、あなたの御手によって今日も命の営みが続けられ、神の国は近づいていることを感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。