24:13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、

24:14 この一切の出来事について話し合っていた。

24:15 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

24:16 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。

 

二人の弟子たちが、エルサレムからエマオという村に向かって歩きながら「この一切の出来事について話し合っていた。」と言われています。

 

「この一切の出来事」とは、エルサレムにおいてイエス・キリストが十字架に架けられ、三日目によみがえられたということについて話し合っていたということです。

 

「二人の弟子」と言われていますが、これはイエス様が選ばれた12弟子ではないと思われますが、彼らは、イエス・キリストが、自分たちユダヤの同胞たちを救うために来られた神からのメシア(救い主)であるという思いを持っていた人たちだと思われます。

 

イエス様は十字架にかかって死なれましたので、彼らは失望落胆していたに違いありませんが、そのイエス様について葬られていたお墓に遺体が見当たらないので、弟子たちが遺体を盗んだのではないかといううわさや、イエス様は復活したといううわさがエルサレム中に流れていたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、イエス様が十字架に架かって死なれましたので、その弟子たちはとても失望落胆し、絶望的な思いの中に置かれていたことでしょう、しかし、イエス様が復活したといううわさが流れて、それはあっという間にエルサレム中に広まっていたようです。主が言われたことは必ず実現すると信じたものは幸いですね。今の状況がどのようであれ、あなたのみ言葉を信頼して生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。