「善を求めよ、悪を求めるな」アモス書5章14節  

これは特に聖書から教えられなくても、人として当たり前のことです。これは悪を行う人でも分かっていることです。善の道と悪の道があるならば、誰もが全の道を歩みたいと願うのではないでしょうか。

それなのにこの世界には様々な悪が存在しています。ガラテヤ人への手紙5章には、「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。」(ガラテヤ5:19~21)

  ここに言われているような悪の言動は、人類に罪が入って以来なくなることはありませんでした。そればかりか、武器はより強大なものとなり、大量破壊兵器が作られるようにもなっています。正義というものがどれだけ当然のこととして様々なところで貫かれているでしょうか。
それは決して他人事ではなく、自分自身のうちにある悪との闘いをこのみ言葉は求めているに違いありません。

祈り

天の父なる神様、闇が覆っているようなこの世界にあって、なお私たちを罪と悪の力から守り導いてくださる恵みを感謝いたします。様々な決断が求められる時、あなたの御心を求めて判断していくことができますように。 イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。