ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。ヨハネによる福音書16:24
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

これまで、クリスチャンが受ける試練や悲しみについて記してきました。この世においては、苦しみがありますが、主イエスは、私たちに奪い去られることの無い喜びを与えてくださることを約束しておられます。

 

ヨハネの福音書16章には、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と言われています。

 

この世にあって多くの人たちが一般的に味わう喜びは、一時的なものであり、やがては失われてしまうものではないでしょうか。今は暑い日々が続く中ですが、甲子園球場では高校野球大会が開かれます。そうしたところで活躍することは素晴らしいことですが、県の代表として活躍しても、その喜びはいつまでも続くものではありません。

 

 

奪い去られることの無い喜びは、神によって与えられるものです。このために私たちは、罪の赦しが与えられ、永遠の裁き(人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。(ヘブライ9:27~28)の後に与えられる永遠の御国に住むことになるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、イエス・キリストに従うものは、ある意味ではイエス・キリストが歩まれたようなこの世の人生の歩みを続けることになります。しかしそのゴールを見つめながら、神の御霊に守られながら生きることができます。

あなたの愛と恵みの深さを覚えながら、主にあっての人生を歩ませてください。イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。