幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。箴言29章18節

幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。

 

幻はビジョンと言い換えることも出来ます。私たちにとって、それは個人においても教会においてもビジョンは必要なものです。教会でも、会社でも、国家においても、個人においても、さまざまなビジョンや計画を立てることでしょう。しかし、ここでは、そのような自分たちで考えたビジョンのことを言っているわけではないと思います。

 

箴言19章21節には、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」と言われています。人の立てた計画は、移ろいやすく、途中で変更されることもしばしばです。しかし、主が立てられ、約束されたみ言葉は決して変わることがなく、実現されていくのです。

 

ですから、あり様としては、例えば、初もうでの時のお願いのように、私たちの思いに主を合わせようとするのではなく、神の御心に私たちの思いを合わせていくことが必要なのです。主の御心に沿ったビジョンは、確かなビジョンとして続いていくのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは私たちのことをすべてご存じで、私たちが考えているよりもはるかに素晴らしいいのちの世界、神の国へと私たちを導いてくださいます。私たちに確かな志を与え、ビジョンを与えて、御霊に導かれてそれを実現していくことが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。