11:53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、

11:54 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。

 

イスラエルの人たちは、旧約の時代に神様が預言者たちを通じて、やがて救い主であるメシアを遣わすという約束を与えて下さっていましたから、約束のメシアはいつ来るのだろうと期待を寄せ、主イエスが来られた当時には、ローマ帝国から自分たちを救ってくれる救い主に違いないと考えていました。

 

そして、イエス様が神の国の福音を説き、病人を癒し、悪霊を追い出すといった御業をしておられるのを見て、もしかしたらこの方がメシアに違いないと多くの人々は考えたのです。

 

民衆の評価は非常に高い評価をしていたように思われますが、当時の宗教や政治の指導者であったファリサイ派の人々や律法学者の人たちは、イエス様によって激しい批判の言葉を聞かされたために、激しい敵意を抱いて、悪質な質問をしたり、どのようにしてイエスを亡きものにするかということまでも考えるようになっていきました。

 

祈り

 

天の父なる神様、罪に堕ちてしまった私たちを救うために来られた天からの救い主イエス・キリストに対して、ファリサイ派の人々や律法学者の人たちは激しい敵意を抱くようになりました。本来、神の言葉を教える立場にある人たちが、逆に神に逆らうようになりました。これは他人事ではなく、私たちの内にもファリサイ派の人々や律法学者たちのようなこころがあることを思います。真実にへりくだってあなたのみ言葉に聞き従うものとなりますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。