16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。

16:26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』

 

ヘブライ人への手紙9章27節には、「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」と言われているように、人は例外なく死んだのち神の裁きを受ける時が来るのです。この裁きによって永遠の命に生きる者と永遠の滅びに陥る者とが決定されます。

 

しかし、その裁きを受ける前に陰府においてその時を待つのです。しかし、人は死を迎えた後、すでに陰府においているべき場所が定められていることが、このたとえを通して教えられています。

 

陰府でさいなまれているお金持ちの訴えに対して、アブラハムは、『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』と答えました。

 

死後の永遠の世界について、お金持ちのように死んだ後でどんなに悔やんでもその立場を変更することは出来ないと言われるのです。この世にいる間に、神の言葉を受け入れ、先に見てきたたとえのように(いなくなった羊、失われた銀貨、放蕩息子のたとえ)神のもとに立ち帰ることが求められているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、今どのような境遇にある人であっても、私たちを生かしてくださるまことの神を信じて、この方と共に歩むことが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。