いかに幸いなことか/知恵に到達した人、英知を獲得した人は。

知恵によって得るものは/銀によって得るものにまさり/彼女によって収穫するものは金にまさる。

真珠よりも貴く/どのような財宝も比べることはできない。

 

ここには知恵に到達した人、英知を獲得した人の幸いが述べられています。知恵に到達するとはどういうことでしょうか。私たちは、こどものころからいろいろなことを学び、生活のすべをも身につけていきます。それらは確かに生活していくために必要なことですが、聖書が言う知恵に到達するとは、どういうことなのでしょうか。

 

大人として成長していくまでにもたくさんの知識を身につけていきますが、たくさんの知識を身につけて、あるいは地位や名誉や財産を蓄えたとしてもいのちを失えば意味のないものになってしまします。

 

ルカによる福音書12章16節以下には、愚かな金持ちのたとえが記されています。「「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」」(ルカ12:16~21)

 

このお金持ちは、金持ちになるためのいろいろな知識も知恵も持っていたに違いありませんが、それは彼を真実に生かすような知識や知恵ではなかったのです。ここに言われているように「神の前に豊かになる」者こそが、真実にその人を生かす知識を持ち、英知に到達した人ということが出来るでしょう。

 

祈り

 

天の父なる神様、神の前に豊かになる者として、知恵と英知に到達することが出来ますように、

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。