目に見える望みは、望みではありません。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。ローマ人への手紙8章24、25節

人は誰でも希望がなければ生きていくことが出来ません。今の日本の人々にとって、最も必要なものは希望であると言っても過言ではありません。しかし、多くの人たちは、いずれは消えてしまう目に見えるものを希望としているように思われます。

きれいな広い家に住みたい、ブランドのバッグが欲しい、〇〇社の高級車が欲しい、もっと高額な収入が得られるように、高い地位に就くことが出来るように、〇〇で成功しますように。・・・希望をもって生きていくために、抱くことは、その多くが目に見える希望であるように思われます。

しかし、聖書は、「見える希望は真実の希望ではない」というのです。今見えているものを希望とするのではなく、信仰によって見えないものを待ち望むことを教えているのです。ヘブライ11章には、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)と言われています。

神は、私たちがまだ見ていないけれども神が約束してくださっているものを希望として、信仰を持って生きることを願っておられるのです。

祈り

天の父なる神様、今多くの人々が希望を失い、自らのいのちを断つことも起こっています。私たちが主にあって、確かな希望をもって生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。