贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。フィリピ4:17~18

日本では今は、モノがあふれるような時代になりましたが、戦後のモノが不足したころまでは、知り合いや近所の方々などで、お互いにモノのやり取りをするということが続いてきました。

そうした助け合うことによって共に生きる共同体というものを形作ってきたのです。

それは貧しい中にある人たちのほうが、助け合うことのありがたみを感じているということが出来るのかもしれません。インドのカルカッタにおいて、マザー・テレサがある貧しい人にお米をあげました。その方は今日食べるものがないし、ここ数日食べるものがないために家族も空腹だったのです。

その人はお米を受け取るとこう言ったそうです。「ありがとうございます。半分はお隣の方に差し上げたいと思います。その家族も私たちと同じように食べ物がないのです。」そう言ってお隣の方に半分のお米を差し上げてきたのだそうです。家族がおなかをすかしている苦しみを分かっているだけに、それを自分たちだけのものにしたくなかったのですね。

隣人を愛するということは、例えばこのように暮らしの中で具体的な形で表れてくるものです。

祈り

天の父なる神様、神が喜んでくださるいけにえは、様々なものがありますが、何よりも自分自身を神に喜ばれる生ける聖なる捧げものとしておささげすることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。