義に飢え渇く人々は幸いである。マタイによる福音書5章6節

「義に飢え渇く」ということは、自分の人生における自分のための義に飢え渇くのみではなく、この世界に存在する不正義、不平等に目を向け、義に飢え渇いている隣人のことを思い、そこでなすべき正義を行なっていくことをも意味しています。

義に飢え渇くのはなぜかと言えば、この世の世界が罪に陥り、神のもとを離れ、この世界には正義が行われないという状況があるからです。義への飢え渇きは、私たちの苦しみや悲しみが解決することによって満たされるのではありません。それは、私たちが罪を赦され、神の義をいただくことが出来、神の正義がすべてにおいて実現するときに満たされるのです。

もしも神が、イエス・キリストをこの世にお遣わし下さり、十字架によってその罪を贖ってくださることがなければ、私たちはその罪のために滅びる以外にはありませんでした。神はその正義を実現するために、すぐに罪人を裁くこともできました。

しかし、神は、人間が罪を犯した直後から、すでに救いの御業を実現することを約束してくださり、その約束を必ず実現してくださるお方であることを、この歴史を通して教えてくださったのです。

祈り

天の父なる神様、私たちは、この世界に正義が行われることを願っていますが、あなたの義の基準に照らして正義が行われるために、しかも罪ある私たちが救われる道をも開いてくださり、招いてくださることを感謝いたします。多くの人々があなたの義に与ることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。