18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。

18:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。

18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」

18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

 

イエス様は、立ち止まって、盲人をそばに連れてくるように命じられ、彼の目が見えるようにしてくださいました。

 

この人は、イエス様に、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言いましたが、目が見えないということがこの人にとってどれほど大きな苦しみとなっていたかを考えると、これはこの人にとっての切実な願いであったことが分かります。

 

それは目が見えないという肉体的な苦しみ以上に、汚れた者とみなされて、ユダヤ人たちが集まるシナゴーグでの礼拝や交わりも持つことが出来ない。ユダヤ人でありながらもユダヤ人の共同体に加わることが出来ない。村八分の状態であったのです。

 

イエス様はそのような彼の苦しみを受け止めて、彼を癒して下さいました。

 

祈り

 

天の父なる神様、目が見えるものにとっては、見えない人の苦しみや痛みは分からないものですが、社会の共同体から排除されている人の苦しみは想像することは出来ます。この人の人生はまさに闇に覆われているという状態にありましたが、イエス様は、何よりもこの人の心に光と希望をもたらしてくださったのでした。