10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

 

立法の専門家は、聖書を熱心に研究し教えている人々でした。その律法の中で土れば最も重要であるかということについて、「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』と答えることが出来ました。

 

けれども、彼は、自分を正当化しようとして、「わたしの隣人とはだれですか」と尋ねたのでした。隣人を愛するということを教えてはいましたが、実際に愛するということになると、彼らは自分たちの仲間どうしでお互いに愛していればよいと考えていたのです。

 

それに対して、イエス様は、「よいサマリヤ人」と言われるたとえをもってお答えになったのです。追いはぎに襲われて倒れている人がいた時に、祭司やレビ人は、その人を見て見ぬふりをして通り過ぎて行ってしまいました。

 

怪我をして、持ち物も盗まれて、倒れている人がいたならば、倒れている人に声をかけたり、今であれば救急車を呼んだり、応急処置をしたりなどが考えられますが、神様の御用をしているはずの祭司やレビ人たちは、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは分け隔てすることなくあらゆる人々を愛し、あらゆる人々を育み育てていてくださいます。私たちもあなたが愛されたように私たちが出合う人々を隣人として愛することが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。