24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。

24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。

24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

 

弟子たちは、マグダラのマリアなど、他の人たちの証言を聞いてもイエス様の復活を信じることは難しかったようです。

 

しかし、そのような弟子たちに復活のイエス様が実際に現れて、「私は本当に復活したんだよ」ということを身をもって示してくださいました。

 

亡霊を見ているのだと思った弟子たちに、復活のイエス様は言われました。「「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

 

この言葉にあるように、復活したイエス様は、弟子たちがかつて見聞きしたそのままのイエス様でした、手には十字架につけられた時の傷跡があり、わき腹には槍で刺された傷跡がありました。

 

それは、「53:5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ53:5)というみ言葉の預言の成就でした。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは、「死」があまりにも巨大な敵であるために、また、自分の罪の結果として「死」を迎えなければならないことを知らないために、自分の「死」に対する備えをすることを怠ったり、諦めたり、タブー視してしまうものです。しかし、罪と死の問題を克服することなしに、私たちには真実の意味での希望はありません。しかし、神様の方から救いの道を開いて下さり、死に打ち勝ってよみがえられたイエス・キリストによって、私たちに復活の命に生きるという希望を与えてくださることを、心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。