どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。1テサロニケ3:11~13

「お互いの愛とすべての人への愛」とありますように、神の愛はクリスチャンたちの間の兄弟愛に始まり、されに周囲の人々、さらにすべての人への愛と広がっていきます。もしも隣人への愛ということが、自分や家族などの狭い範囲だけにとどまっているならば、それは神からの愛であるのかどうか吟味する必要があるでしょう。

さらに13節にはキリストの再臨に言及されています。ゼカリヤ書14章5節には、終わりの日に神が世を裁くために、また救いを完成させるために来られることが記されています。

そのとき、神の裁き(審判)のときに無罪とされる人は、神の目から見て罪のない者、聖なる者とされた者、非の打ちどころのない者でなければなりません。人間は神の前にすべて罪がありますから、そのままであればすべての人は有罪とされますが、あの出エジプトの時、神の言葉を信じて子羊の血を家の門とかもいに塗った人たちはすべてその裁きを免れることが出来ました。

これは、やがてこられるイエス・キリストの十字架による罪の贖いを指し示すものでした。

祈り

天の父なる神様、あなたが用意してくださった救いの恵みを感謝いたします。それは私たちの努力やいさおしによって獲得できるものではなく、ただあなたの恵みによっていただくことのできるものです。

あなたの深い愛を覚えて、御あとに従うものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。