21:1 イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。

21:2 そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、

21:3 言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。

21:4 あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

 

旧約聖書の時代には、収入の10分の一を献金として神様の御用のためににおささげすることが教えられていました。マラキ書3章には、「十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう。」(マラキ3:10)と言われています。

 

しかし、イエス様は、今日の聖句に登場するやもめが、「乏しい中から持っている生活費を全部入れた」と言って、このやもめがした行為を称賛しておられます。

 

このやもめは、「レプトン銅貨二枚」を献金したと言われていますが、レプトン銅貨は、1レプトンが、1デナリオンの128分の一であると言われています。1デナリが労働者1日分に相当すると言われていますから、仮に1日分が10000円だとすると、1レプトンは約78円に相当しますので、2レプトンは約156円ほどになります。

 

現在の日本の貨幣単位として考えてみても、156円というのは決して高額ではありません。むしろかなり安価なものといえるでしょう。しかし、金額ではなく、この人が財産全部を捧げるほどの信仰と真心を捧げたことを称賛されたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世の価値基準で言えば、より多くのお金を捧げたものが評価されるということになるでしょう。しかし、イエス様がいわれたのはそうしたものではありません。

「あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」というみ言葉によって、神様は、ささげる者の真心をご覧になるということを教えてくださいました。そのような真心をもってあなたと共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。