11:37 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。

11:38 ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。

11:39 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。

 

「人はうわべを見るが神は心をご覧になる」というみ言葉がありますが、今日の聖句には、イエス様が、ファリサイ派の人に食事の招待を受けた時に言われた言葉です。

 

ファリサイ派の人は、イエス様が食事の前に手を洗わなかったのを見て、不審に思いました。これは手が汚れているからきれいにしようという衛生面についてではなく、ファリサイ派の人たちは、普段の生活で異邦人に出会ったり、汚れたものに触れたりすることもありますから宗教的な面で食事の前には手を洗うことを教えていたのです。

 

イエス様は、不審に思ったファリサイ派の人の思いを知って次のように言われました。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。」

 

ファリサイ派の人たちはその当時では、ユダヤ人の政治的宗教的指導者でしたが、イエス様のこの言葉は、外面的なことばかりをきれいにするが内面を清めようとはしていないファリサイ派の人々に対する非常に強い批判の言葉です。

 

指導者だからこそ、自分の内側をきれいにすべきではないかというメッセージですが、これは私たちもそのまま受け止めるべき言葉です。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは、とかく外面の美しさをきれいに見せようとはしますが、内面の醜い部分を見ようとしないことがあります。外面はきれいに見えていても、その中はシロアリに食べられていてスカスカになった柱などは役に立ちません。そのような建物は嵐がやってくると倒れてしまうかもしれません。神様の前に、内なる自分自身を清めることに心を注ぐことが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。