16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。

16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』

16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』

16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

 

死んで陰府に落ちた金持ちは、アブラハムに訴えました。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

 

金持ちは、陰府に落ちた自分自身は二度と元の暮らしに戻ることが出来ないことは自覚していますが、ラザロなら戻ることが出来ると思っているのでしょうか。

 

「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、私たちの人生はそうではないことを聖書ははっきり教えています。輪廻という教えは、バラモン教からもたらされたものですが、私たちの人生は一度限りであるということです。

 

金持ちの訴えに対して、アブラハムの答えは、『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』というものでした。モーセと預言者に耳を傾けるとは、聖書の言葉に耳を傾けるということです。

 

祈り

 

天の父なる神様、死んだのちどうなるのか、ということについて、イエス様は、たとえを用いて教えてくださいました。このたとえ話には、金持ちとラザロが神に対するどのような信仰を持っていたのかは書かれていませんが、これまでの話の流れからすれば、金持ちはお金や自分自身を主人とするような生き方をしてきたのに対して、ラザロは、自分の無力さ、罪深さを自覚し、神により頼む人生を生きてきたのではないかと思われます。神に対しての無垢な信仰をもって歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。