6:39 イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。

 

実をいうとすべての人が盲人なのではないかと考えたことがあります。ここでイエス様が話しておられるのは、特に当時の宗教と政治の指導者であったファリサイ人や律法学者と言われる人たちのことです。

 

彼らは、ユダヤの最高議会の議員でもあり、聖書を人々に教えている人たちでもありました。しかし、イエス様に言わせると彼らがしていることは、盲人が盲人の道案内をしているのと同じだと言われたのです。

 

目の見えない人が道案内をすることは困難ですが、たとえ肉眼の目が見えていても、心の目が盲目であれば、人々を正しい道に導くことが出来ないのです。

 

どれほど知識があり、学識もあって、エリートコースを歩いてきた人であったとしても、罪のために心の目が曇っているならば、いのちへの道を指し示すことが出来ません。それはこれまでの歴史において、宗教的・政治的指導者たちが、預言者たちの言葉に耳を傾けようとせず、イエス・キリストをも受け入れることが出来なかったことからも分かります。

 

天の父なる神様、イエス様は、「私は道である」と言われましたが、使徒言行録には、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と言われています。この意味で人間は誰一人として「神のもとに導く道」にはなり得ません。あなたが私たちを導いてくださらなければ、私たちは正しくこの働きをすることが出来ないことを思います。どうか聖霊のお導きによってあなたの御業を行うものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。