3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
3:17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
3:18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

神に対して罪を犯した結果、女には産みの苦しみが与えられ、男に従うものとなり、男は食べ物を得るために苦しまなければならなくなりました。

苦しみがもたらされるということは辛いことですが、苦しみが無ければ、私たちは罪を自覚したり、自分の弱さを自覚したり、神を求めるようになることはないのではないかと思います。

その意味では苦しみは恵みでもあると言えるのです。すべてのことを益にしてくださる神は、このような苦しみを通して多くのことに気づかせてくださり、本物の愛へと私たちを導いてくださるということもできるでしょう。

罪を犯して、神との関係が損なわれてしまったことは人類にとって致命的なことでしたが、神はそのような人類を救う手立てを講じて、罪と死からの救いの道を拓いていてくださいました。その救いの歴史が聖書であり、救われるための筋道がここに記されているということが出来ます。

祈り

天の父なる神様、アダムとエバだけのことでhなく、私もあなたの御前に罪を犯し続けてきたものであることを思います。そのような罪人のためにあなたのひとり子をお遣わし下さり、大きな代償を払ってこの罪を贖ってくださったことを感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。