2:25 ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。

 2:26 だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。

 2:27 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。

 2:28 あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』

 

ダビデはイスラエルの王として、神の祝福をいただいてイスラエルの最盛期といわれる時代を築いた人物です。イエス様が生まれる1000年も前に活躍した人物ですから、ダビデはイエス・キリストに出会ったこともなかったはずです。

 

ところが、「ダビデは、イエスについてこう言っています。」といわれています。これはどういうことなのでしょうか。

 

ルカによる福音書24章には、「イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」」(ルカ24:44)といわれています。

 

また、ヨハネによる福音書5章には、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネ5:39)と言われています。

 

つまり、旧約聖書の全体はイエス・キリストについて証ししているのだと言われているのです。旧約聖書の時代、肉眼でイエス様を見るような姿ではお会いできなかったとしても、イエス様は天地創造の前からおられ、私たちの救いのために、今から約2000年前に実際にこの世に来てくださったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、永遠の昔から存在し、この世界を創造し、いまもこれらをすべ治めておられるあなたの御手を覚えて御名を讃美いたします。造られたものすべては、本来、あなたの御栄光を現わすために創造されました。私たちもそのように日々の生活を過ごしていくことが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。