6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。

 

いったいなぜ「貧しい人々は幸い」なのでしょうか。20節には、イエスさまは、「目を上げ弟子たちを見て言われた」と書かれています。弟子たちを見て言われたのです。ここで「弟子たち」というのは、12使徒だけではなく、イエスさまに従っていた人々のことです。そして「貧しい人々は幸いである」という言葉ですが、これは口語訳聖書では「あなたがた貧しい人たちは幸いだ」となっています。

そうするとこの「貧しい人々」というのは、貧しい人々一般を指しているのではなく、今イエスさまを求めて集まってきている貧しい人々、ということになります。あるいは、貧しい人々がさいわいなのは、イエスさまを求めるようになるからだ、と言うこともできます。いずれにしても、イエスさまを求め、イエスさまの所に来ることによって、貧しい人がさいわいな人となるということです。

 

イエスの言う「貧しい人々」とは、預言者イザヤが語っていた「抑圧されて、自らどうすることもできない、希望を取り上げられた人たち、起こりようがない奇跡が実現する以外には立ち直ることができない人たち」であったのでしょう。自分の内にはなんの誇るものもないと思って、神に心を向けている人たちということが出来ます。

 

そしてなぜそのように幸いになるかと言えば、そのような人たちに神の国(神の支配)は与えられるからです。これは祝福の言葉です。しかもこの世の祝福ではありません。神さまの祝福です。神さまのくださるものによって祝福される。神の国が与えられる。それゆえに幸いであるといわれているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは「自分の内にはなんの誇るものもないと思って、神に心を向けている人たち」こそが幸いであるということを教えてくださいました。あなたによって生かされている自分自身であることを覚えつつ、あなたの御手により頼むものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。