こころが痛い?

ある人たちは、経済成長と共に、ものが便利になり、暮らしは楽になり、少々の贅沢もできるようになったことは認められるものの、こころの充実感や生きていることの深い喜びや、心から実感できるような幸福感というものが、なぜか薄れつつあることに気づいていたことでしょう。

杉本治君は、小学校5年生のときに次のような詩を書きました。

テスト戦争

紙がくばられた

みんなシーンとなった

テスト戦争の始まりだ

ミサイルのかわりにえん筆を打ち

機関じゅうのかわりに消しゴムを持つ

そして目の前のテストを敵として戦う

自分の苦労と努力を、その中にきざみこむのだ

テストが終わると戦争も終わる

テストに勝てばよろこび

負ければきずのかわりに不安になる

テスト戦争は人生を変える苦しい戦争

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勉強してどうなるのか、やくにたつ、それだけのことだ、勉強しないのはげんざいについていけない、いい中学、いい高校、いい大学、そしていい会社これをとおっていってどうなるのか、ロボット化をしている。
こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。

数多くの感性豊かな詩を書いた杉本君は、物事を表面的にしか見ることの出来ない担任教師に、「生意気な子だ」といって叱られたことで、自殺という形で最後の講義をしたのです。11歳のときのことでした。

子ども(こころが蝕まれている子ども)は、独特な感覚で地震を予知して、あばれるナマズに似ています。
あるいは、体の異常に反応する「神経」に似ています。
神経は、痛みがあって厄介だから、取ってしまおう、
などといって、神経を取り除くと、体は大変なことになるのです。
痛みは、警告なのですから、痛みのあるうちに回復処置をする必要があるのです。

子どもたちは大人たちの生き方―例のパラダイムに基づいて「富」と「名誉」を求め、成功者になることを絶対とする生き方の先に「大地震」が発生することを感知しているのです。

そのために「いじめ」や「暴力」や「暴走」という形であばれ、また「無気力」や「不安」や「不登校」という形で感知したことを大人たちに知らせているのです。ナマズを打たいておとなしくさせることは容易です。

ナマズがおとなしくなったところで、大地震が発生することには変わりがありません。もや無気力で死にかかっている子どもたちにたいし、たたいたり、おどしたり、なだめたり、ときには哀願したりして、「よい子」にしようとしていますが、仮に大人の目に「よい子」になったとしても、「大地震」が起こるのです。

たくさんの方々が今、心の痛みを覚えています。これは日本という体が、そしてこのうちにあるお一人お一人が病のうちにあることを物語っています。ただ、表面に出たものを治すという対処ではなく、心の深くにある痛みと傷を知り、それを根本的に癒すことが必要なのです。

大人たちが抱いている人生観・価値観の間違いに気づき、一刻も早く、本来の人生観・価値観に切り替えて、他者を受け入れ、愛し合い、仕えあい、共に生きる道を探っていく必要があります。

子どもの「いじめ」や「暴力」や「暴走」を、また「無気力」をそのままにしておいてよいというのではありませんが、大人自身が自分の生き方を反省し、正しい方向へ切り換えていくことのほうが、はるかに重要なのです。

つまりは、子どもにたいしてどうするか、という方法よりも、自分たちの生きる方向をしっかり見定めることが問われているのです。

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