神道からキリストへ             牧野 泰牧師

 東京の西多摩郡日の出町の日の出福音教会の牧野 泰牧師は、クリスチャンになる前は熱心な神道信者でした。
 若い頃、国学院大学の神職養成部に入り、そこを卒業。いくつかの神社に仕えた経験を持っておられます。

いくつかの神社で仕える

 彼は小さい頃、明治神宮に初詣に行ったときなどに目にしていた、あの白い装束に身を包んだ神主の姿に、いつしかあこがれるようになっていました。仏教の僧侶などとは違う、清浄さ、きよらかさが神主にはあると感じたのです。

 やがて国学院大学に入学。神職養成部で三年間学び、在学中から各神社に実習に行きました。
 明治神宮をはじめ、東郷神社、箱根神社等で奉仕しながら、祝詞(のりと)をあげたり、祭式を学んだりして研鑽(けんさん)を積んだのです。

 そして卒業。免状を手にした。あこがれの伊勢神宮に志望をおきました。ところが、それは時あたかも太平洋戦争の末期でした。
 彼のところにも、赤紙の召集令状が届きました。軍に入隊した彼は、九十九里浜で、アメリカ軍の上陸に備えて毎日猛演習を続けました。

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 やがて日本は敗戦を迎えたのです。その終戦の日を、彼はこう語る。
 「八月一五日、防空壕で天皇の敗戦の詔勅をラジオで聞いたときには、万事休す、という思いのみが強く心に迫ってきました。
 あれほど全国民が必勝を信じていたのに、ついに神風も吹かなかったのか・・・・。天皇自ら現人神を否定して、一人の人間に過ぎないことを宣言されたときに、日本の皇国主義、軍国主義、神国主義、全体主義は一朝にして崩れ去ったのでした。

 とくに惟神(かんながら)の道を信奉し、神社の神こそ絶対神であると確信していた私は、約半年間、夢遊病者のように腑抜け人間になって迷い歩きました。私を裏切った神など神ではない、本当の神はどこにいるのか! と」

 こののち、彼は約二年間、様々な宗教遍歴をします。曹洞宗の講話会、真言宗の山籠、生長(せいちょう)の家の法話、立正佼成会の法座、創価学会の折伏(しゃくふく)、モルモン教の伝道、ものみの塔の集会、カトリックのミサ・・・・。

 しかし、どの会合に出ても、納得のいく神を教えてくれませんでした。
 心は荒(すさ)んだ。そんなおり、彼は郵便局に勤めるようになっていたので、労働運動に参加するようになった。労働運動にこそ日本の明日はある、とまで思うようになっていました。

 ところが、その職場に一人のクリスチャンがいて、彼に言ったのです。
 「牧野君。君はよく民主主義、民主主義というけれど、民主主義の基本はキリスト教から来ているのだから、教会に行ってみないと本当のことはわからないよ」。

 当時のことを、彼はこう振り返る。
 「私は唖然としました。かつて私が目の敵にしていたあのキリスト教が、いま自分が最も情熱を傾けている労働運動の基本である民主主義のお手本であるなんて・・・・」。

 こうして彼は、その友に誘われて、はじめて教会の門をくぐったのです。
 何度か通っているうちに、今まで彼の生きてきた世界とは全く違う世界だと思うようになりました。牧師や、白髪の長老が、わが子のように世話してくれました。彼の心は、しだいにほぐれていきました。

 やがて、天地の創造主なる神の代わりに被造物なる人間の神を拝み、これに仕えてきた自分の姿に彼は気づかされるようになります。
 彼はイエス・キリストによって啓示された真の神を知り、回心します。その神に、全身全霊をささげて生きることを決心しました。

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牧野師が神主だった頃。

(明治神宮 社務所前で)

神道の教義とは?

 その後、牧師となった牧野師は、神道の教義について、キリスト教との関連の中でこう語っています。

 「神道の教義は何かというと、専門家でも一言では言えないのが、神道という民族宗教なのです。
 本居宣長(もとおりのりなが)は古事記が中心であるとし、平田篤胤(あつたね)は祝詞が本であるとし、吉田兼倶(かねとも)は天地をもって経典となすと言いましたが、いずれもいま一つ曖昧で、具体的にどうとらえたらよいのか物足りなさを感じます。

 『中庸』という本に、
 『誠は天の道也、これを誠にするは人の道也』
 とありますが、この誠ということをとらえて神道の要としたのは、儒者で神道家であった貝原益軒(かいばらえきけん)です。

 私は神社に仕えてみて、神道の中心概念は、崇敬という念と、清浄という心情を尊ぶところに、その眼目があるように思われます」。
 「神社の神は人間所産の神であり、キリスト教の神は、人間を創造された神です。いわば前者は、人間の頭脳の中で生まれた神であり、後者は、人間の頭脳を組み立てられた神です。

 私は神とは何か! 自分の頭脳で考えあぐねました。そして自分なりに創出した神は、"陽明燦(ようめいりん)たりこれ真神なり"ということでした。

 ところが聖書の第一巻を開いたときに、
 『元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまえり』
 と記されています。そしてまた、黙示録には、
 『我はアルパなり、オメガなり、始なり、終なり』
 という言葉が出ています。

 ちっぽけな私が、あれやこれやと頭の中で模索しなくても、"わたしがお前を造ったのだよ"と、神さまは仰せになっていたのでした。

 そして、聖書を読み進んで使徒行伝17章22節までくると、
 『アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、「知られない神に」と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。

 そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。
 この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。

 神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。

 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかた(イエス)によってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである』

 との言葉が、私の胸の中に突きささりました」。

 こうして彼は、自分が知らずに拝んでいたおかたが、じつは聖書の教える創造主なる神であられることを知った。そして悔い改めて、真の神を受け入れる者となったのである。彼はこう述べている。

 「日本には社が十数万、お寺も何十万もあります。そこにお参りする人々が、神の神、仏の仏であられる真の神、天地の創造主を拝む者となられますよう、日本の全クリスチャンは心からの祈りをささげなくてはならないと思うのです」(『信徒の友』誌、1983年1月号より)。

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日本キリスト教団青梅教会の教会誌「つのぶえ」

第12号表紙に載せられた牧野師を描いたイラスト。

ルーツは聖書の神にある

 日本人のルーツをめぐってのユダヤと日本に関する記述については、なるほどなるほどと開眼覚醒させられる思いです。
 『大和民族はユダヤ人だった』(たま出版)
 『日本の中のユダヤ文化』(学研)
 『日本ユダヤ封印の古代史』(徳間書店)
 『日本書紀と日本語のユダヤ起源』(徳間書店)

 など、このような確信に立つとき、神道は旧約の神の国であり、キリスト教は新約の神道との思いに駆られます。

 久保先生や、ヴァンミーター美子さんの申されましたように、日本こそ真の神の選民であるとの感激に、胸一杯となり、夜も眠れない思いに満たされる次第です。

 私も82歳の高齢を迎えましたが、『終末への歴史が見える』のご著書にあるように、主のご再臨は急速度に近づきつつあるように思われます。
 このきわめて重要なときに、すべてのクリスチャンは、その与えられているタラントを、最大限に活かすことが求められているように思われます。

 私の悲願は、日本の十万を数える神社や寺院が、そのルーツは聖書の神にあることを悟ることができますように、との祈りであります。

 まことに、日本人にとって神道は"旧約"であり、キリスト教は"新約"である。

 "新約"は"旧約"を成就・完成する。日本人は、真に聖書的なキリスト教に目覚めるとき、日本の伝統を実現・完成しつつ、真の神に立ち帰るのである。

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箱根神社での夏期研修(前列左から2番目が牧野師)。

平田神道へのキリスト教の影響

 牧野師はさらに、「平田神道(ひらたしんとう)」にキリスト教の影響があることも指摘しています。

 「日本人の精神的基盤になっている神道も仏教も、その源流はキリスト教から来ていることを明確に打ち出す必要がありましょう。
 神道論は、古事記や日本書紀の神話をどのように解釈するかによって、様々な神道が展開されました。

 主なものに、渡海神道、吉田神道、儒家神道、吉川神道、垂加神道、復古神道、平田神道、等でありますが、とくに平田神道は、契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長等の学統によって大成された神道を、平田篤胤(1776~1843年)がさらに合理的、倫理的、神学的に完成させました。

 現代の神社神道の本流は、この平田神道にありますが、その神観にはキリスト教の影響が多分にあることがわかります。

 第一に創造主的神観であります。

 それは古事記の冒頭に出てくる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を宇宙万物主宰の絶対神とし、その神徳の発現である高皇産霊神(たかむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)を加えて『造化三神(ぞうけさんしん)』とし、天地を創造し、人類万物を生成し、人間に霊性を与える祖神であるとしました。

 これはまさに、キリスト教の『三位一体観』の組み入れであります。
 聖書の神は、父、子、聖霊の三位一体を神の御本質としますから、平田篤胤は、ザビエルによって伝わったキリスト教や聖書に相当感化されていた、と見るべきでありましょう。

 また、記紀(きき)二書に記されている、いざなぎ、いざなみの両神は、天(あめ)の浮橋から塩の自然に凝った自凝島(おのごろとう)に下り、結婚して大八洲や火神を生んだが、女神いざなみは死んだので、夫のいざなぎの神は黄泉国へ赴き、いざなみの死体を見て日向の檍原に逃げ帰り、その地で天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つきよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)を生んだ後、淡路国に隠れた、と書かれています。

 この記事も、アダム、エバの創世記四章の記事に近いものがあります。アダムも、カイン、アベル、セツの三人を生んだとされています。
 いざなぎは誘う、いざなみは誘われるで、アダムとエバの神話化であろうとの説があります。

 このように見て参りますと、聖書の神こそ神道の神であることが確証されて参ります」。

 牧野師はまた、大乗仏教に景教(ネストリウス派キリスト教)の影響があったことについても指摘しています。
 私たちは、聖書の教える神を信じるとき、真の神に立ち帰るのです。

            久保有政著(レムナント1997年9月号より)