12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、

 12:16 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。

 12:17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

 12:18 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。

 12:19 彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。

 

 12:20 正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。

 12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」

 

これはイザヤ書42章からのみ言葉です。「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。」と言われたみ言葉は、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになった時、神の霊が鳩のように降ってきて「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」(マタイ3:16,17)と言われたことを思い起こさせます。

 

「傷ついた葦」や「くすぶる燈心」は、飼い主のいない羊のように弱りはて、打ちひしがれている人々を表しています。罪のもとに堕ちてしまった私たちは、生まれながらに一人残らずそのような者でした。

 

神様から教えていただき導いていただかなければ、すなわちまことの羊飼いと出会うことがなければ、そのような自分の姿さえわからないものでした。イエス様は、そのような人たちを支え、立ち上がらせ、まことの羊飼いに出会わせて、神と共に生きる者へと導いてくださるのです。まことの羊飼いこそイエス・キリストなのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちはみなまことの羊飼いを必要としているものです。真実に私たちを生かし導いて下さる羊飼いのもとで、主と共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。