10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

 

32節、33節には、「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」と言われていました。

 

この御言葉は、イエス様のために、地方法院へ引き渡され、裁判を受ける場面が背景となっています。イエス様について告白するならば、殺されてしまうかも知れない。そのような状況が背景となっています。そのとき、自分の命を得ようとして、イエス様を知らないと言えば、苦難に遭うことをのがれることはできますが、そのようにして神に従うことを拒むならば、「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」と言われるのです。

 

自分の命を得ようとして、人々の前でイエス様を知らないという人は、(霊的な)命を失ってしまう。なぜなら、イエス様も、天の父の前でその人を知らないと言われるからです。しかし、イエス様のために、イエス様を愛する心から、「イエスは主である」と公に告白する者は、かえってそれを得ることになるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは、自分の十字架を負って主に従うことを求められました。そして実際にその後の多くのキリスト者たちはいのちをかけて主に従って生きるようになりました。そこには彼らの努力というよりは聖霊が彼らと共に働いて下さったことを教えられます。主がともにいて、真理に生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。