7:11 神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。

 

「神の御心に適った悲しみ」の例として、イエス・キリストを否んだ時のペトロのことを考えることも出来るでしょう。このことについて、マタイによる福音書26章には、「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(マタイ26:74~75節)と言われています。

 

これはペトロにとって非常に大きな苦しみでした。ゲッセマネの祈りの前に、イエス様がこのことを予告なさったとき、ペトロは次のように述べていたのです。「イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。」(マタイによる福音書26章34~35節)

 

ペトロは、たとえ死ぬようなことがあってもあなたを知らないなどとは決して申しませんと豪語していたのですが、彼はこの時自分の弱さ、罪深さを思い知らされたのでした。他の弟子たちも、イエス様が十字架につけられる時にはその場から逃げ出してしまい、恐れと不安の中で自らの罪の深さを味わうことになりました。このように打ち砕かれた弟子たちのうちに復活のキリストが現れてくださるのです。救いは主にあるという事を身をもって知らされるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、神の御心に適った悲しみによって、私たちをあなたと結びつけ、まことの羊飼いであるお方に出会うことが出来ましたことを心より感謝いたします。神の御心に適った悲しみによって、真実を知ることが出来ますように、人の痛みを理解し、隣人を愛する者となることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。