12:6 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、

 12:7 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。

 12:8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。

 12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

 

パウロは神様から多くの祝福を与えられていましたが、27節では「あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。」と記しています。

 

ここで言われている「とげ」がどのようなものであったかは記されていませんが、彼が思い上がることのないように何らかの病か障害が与えられていたのではないかと思われます。この刺はサタンから送られたものであり、福音宣教の妨げになるものでした。

 

それで彼はこの刺を取り去ってくださるように三度神に願い求めたと言われています。私たちにも、これさえなければと思うようなものがあるかもしれません。そのために何度も祈るのではないでしょうか。

 

パウロの場合の神の答えは、「「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」と言われています。「力」とはキリストの力であり、力は弱さの中でこそ発揮されると言われたのです。

 

弱さの中でこそ発揮されるというのですが、私たちのうちでキリストの御力や御恵みが発揮されるのは、私たちが自分の無力さを心から実感するようになった時であると思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちはいつの間にか高ぶってしまうことがあります。神様がいなくても自分でやっていけるかのように思ってしまうこともあります。そのような私たちが高ぶることがないように、あなたの恵みのうちを歩み続けることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。