12:19 あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。

 

パウロは、これまでの文章において自分を誇ることも述べてきましたが、それを見て、コリントの教会の人たちは、「わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだ」と思うのではないかと考えました。

 

彼は、自己弁護そしているのではなく「わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語って」いるのだというのです。この点についてのパウロの考えは、1コリント4章の言葉に荒さされています。

 

「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。」(1コリント4章1~4節)

 

すなわち、パウロは自分たちが神の救いの御計画を委ねられた管理者であり、管理者に委ねられたことは忠実であることだというのです。私たちも主の前に忠実なものでありたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、神の救いの御計画を委ねられた管理者として、これを委ねてくださったあなたに忠実なものでありますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。