11:15 耳のある者は聞きなさい。

 11:16 今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。

 11:17 『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』

11:18 ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、

 11:19 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

 

『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』と言われています。子供たちが婚礼ごっこをしようとして他の子どもたちに呼びかけても、他の子どもたちは相手にしてくれませんでした。

 

それでは葬式ごっこをしようとしても、他の子どもたちは相手にしてくれませんでした。そのようにバプテスマのヨハネやイエス様が呼びかけても、真摯に向き合おうとしない人々の姿をこのように表現しているのです。

 

なぜ相手にしないのかといえば、ヨハネに対して『あれは悪霊に取りつかれている』と言ったり、イエス様に対しては、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』というように、彼らにとっては、ヨハネもイエス様も、神から遣わされた方という意識もなく、自らの罪を悔い改めて神に立ち帰ろうとする思いを持たなかったという事です。

 

祈り

 

天の父なる神様、後になってステパノが、ユダヤ人たちが預言者たちを迫害し、イエス・キリストをも十字架につけてしまったと告白しているように、ユダヤ人たちは神が遣わしてくださった人々を迫害したり殺害したりしました。しかし、それはユダヤ人だけのことではなく、私たちも自分の思いを優先にして神様を排除しようとするようなことがあります。神を神として生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。