9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
ファリサイ派の人々は、イエス様とその弟子たちが、徴税人や罪人と言われる人たちと一緒に食事までしているのを見て非難しましたが、それに対するイエス様の答えは、
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」というものでした。
「いけにえ」とは、外側に出た行為で、パリサイ人たちが実行しようとしていた律法主義的生活を指します。「憐れみ」とは、内面的なもの、行為の背後にある動機のことです。パリサイ人たちは、罪人に対して厳しい律法主義的な生活を要求しましたが、隣人や弱い者への同情心や愛は持っていませんでした。イエス様は、そのようなパリサイ的心のあり方を批判され、その生涯を通して憐れみの心を教えられたのです。
もしもイエス様が正しい者を招くために来られて、罪人を招かれることがなかったなら、私たちはだれ一人として神様の救いに与ることは出来ないでしょう。罪のない者はひとりもいないのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの深い憐みを感謝いたします。そのような愛に生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。