5:7 それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。
5:8 ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。
5:9 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
5:10 すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。
5:11 教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。
4節には「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」とあります。ここでの「人間」は使徒たちを、ここでの「神」は、使徒たちの背後にいる神を指しています。アナニアは、その一部を持って来て、これがあの土地の値段と言えば、使徒たちには分かるまいと高をくくっておりました。
しかし、使徒ペトロは、それを見抜き、あなたが欺いたのは、私たちではなく、神なのだと告げるのです。使徒たちの足もとに置くことは、神にささげるということだったからです。そして、アナニアの突然の死は、そのことを明確に物語っているのです。
なぜ、アナニアは、ペトロの言葉を聞くと、倒れて息が絶えたのかといえば、アナニアが欺いたのは、人間ではなく、天地万物をお造りになった、私たちの命を支えておられる神であったからです。そして、同じことをサフィラの死からも教えられるのです。
アナニアとサフィラが、突然息絶えたという知らせは、それを聞いた人々に非常な恐れを起こさせました。おそらく、これを読む私たちもそうだと思います。なぜ、アナニアとサフィラは、サタンに心奪われ、聖霊を欺いてしまったのでしょう。
それは、使徒たちの足もとに置くことは、神にささげることであるという意識が希薄であったからです。ペトロの「あなたは人間ではなく、神を欺いたのだ」という言葉は、このことを教えています。
マタイによる福音書10章28節以下には次のように言われています。 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
祈り
天の父なる神様、あなたは恐れてはならないと言われる一方で、神を恐れよと言われています。人を恐れることなく神を畏れる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。