8:9 ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。
8:10 それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。
8:11 人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。
サマリアには、以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していました。ここには「魔術」とありますが、聖書において魔術とは、占いや霊媒を含むもので、超自然的な力を、自分の欲望を遂げるために利用することを言います。
ここでの魔術が、今でも私たちがテレビなどで目にする、いわゆるマジックを指すのか、どうかは分かりませんが、それによって、シモンは、人々から「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と注目されていたのです。そして、シモン自身も、偉大な人物と自称していたのです。
このような魔術師がおり、人々が注目していたことからも、ユダヤ人からすればこの地がまさに異教の地であったことが分かります。なぜなら、ユダヤにおいて、魔術は厳しく禁じられていたからです(レビ19:31、20:27、申18:10-13)。その魔術師であるシモン自身も信じて、洗礼を受けたのは、フィリポからイエス・キリストの福音を聞いたからというよりも、フィリポが為すすばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て、驚いたからでした。
シモンは、フィリポの奇跡をイエス・キリストにおいて到来した神の国のしるしとは理解せず、自分と同じ魔術の延長線上で理解していたのです。そして、このシモンの誤りが、ペトロとヨハネの訪問によって明かとなるのです。
祈り
天の父なる神様、魔術師シモンはフィリポの不思議な業を見て洗礼を受けましたが、それはイエス・キリストを信じたからというよりは不思議な業を見たからでした。後になってその誤りが明らかになり、心からイエス・キリストを信じるようにと導かれていきました。真実にキリストにあって生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
