13:41 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、

 13:42 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

 13:43 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。

 

このたとえ話において、主人は、毒麦もよい麦もそのまま育つに任せなさいと言いました。しかし、毒麦にたとえられている神に敵対し続ける者が、永遠にそのまま放置されるわけではありません。


神様の計画は、最終的に麦の刈り入れを行う時に、良い麦と悪い麦とを分けることです。世の終わりに、天使によって刈り入れが行われるというのです。神様がこの世の終わりに、刈り入れを行うということは、この世界はいずれ、神様によって裁かれる時が来るということです。

これがこのたとえ話を通して語られている、神の国に関する一つの真理ですが、ただ、これがこのたとえ話の結論というわけでもありません。それと同じくらい重要な真理が、もう一つ語られています。それは、神様は世界が終わる時まで、裁きを先延ばしにしているということです。


神様が、この世界が終わる時まで、毒麦が存在しているというのはそういうことです。普通、農業の常識では、良い麦の成長を妨げる悪い麦があれば、すぐに抜き取らなければなりません。農業において、毒麦というのは、存在してはならないのです。このように、どうやって良い麦を守るのかを考えるのが、人間の農業の常識です。

しかし、神の国の農業は違います。神様が管理する畑では、毒麦を見つけても、すぐに抜かれることはありません。なぜでしょうか?それは、神様が毒麦を良い麦に変えてくださることがあるからです。毒麦を良い麦に変えるお方こそ、イエス・キリストです。

世界という畑の主人は、神様です。神様はたとえ畑の中に毒麦があったとしても、すぐに抜き取ることはせず、最終的に麦を刈り入れる時まで、忍耐して待っておられるのです。

「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(2ペトロの手紙3:9

神様は私たちを救ってくださったように、まだ救われていない一人一人がキリストに出会い、救われることを願っておられます。神様は良い麦であれ、悪い麦であれ、この世界という畑にある麦、一本一本を大切に扱っておられるのです。

祈り

 

天の父なる神様、人類の中には罪のない者はなく、神に背かない者はひとりもいませんが、そのような私たちを救うために、あなたはひとり子であるイエス・キリストをお送りくださいました。毒麦であったものがその罪を悔い改めてあなたのもとに立ち帰ることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。