主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。フィリピ4:4~5
生まれたばかりの教会、しかも厳しい迫害のさなかにあるとき、必要なことは、そのような状況の中にあっても神につながり心の平安が与えられることです。
これは絵に描いた餅のようなものではなく、事実として神によって与えられているものです。「喜びなさい」と言われても、そのように勧められただけでは心の平安は与えられません。
使徒言行録14章には、「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」と言われています。ここには、神が「あなたがたの心を喜びで満たしてくださっている」と言われています。
また、「主はすぐ近くにおられます」と訳されている言葉は、「主はもうすぐ来られます」と訳すこともできます。この言葉は、初代教会の典礼式文の一つの表現と考えることもできます。1コリント16:22に言われているアラム語の「マラナタ」に該当するものです。
キリストの再臨を待ち望み、再臨が近いことが語られているのです。
祈り
天の父なる神様、私たちの心に平安を与え、喜びを満たしてくださることを感謝いたします。初代教会が再臨のキリストを待ち望んだように、私たちもそれを待ち望みつつ、主と共に歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。