17:7 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。
17:8 むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。
17:9 命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。
17:10 あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
当時のローマ帝国において奴隷が当たり前のように存在していました。このことを前提として今日のみ言葉は語られています。
奴隷であるならば、主人に言われた仕事をやって、家に帰ってきても、先ずは主人のために食事の用意をするのが当然ではないかと言われるのです。これは当時の奴隷と言われる人たちが当然のこととして行っていたことです。
それと同じように、主人によって創造され養われている人間は、神に従うことが当然のことではないかと言われるのです。イエス様はその模範として父なる神に従い抜かれたのでした。
祈り
天の父なる神様、イエス様は、父なる神の御心に従い抜くということによって、私たちのあるべき姿を示してくださいました。主に従うことが出来ますように、御霊によってお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。