16:1 ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。
16:2 イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、
16:3 朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。
16:4 よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。
イエス様のもとにファリサイ派とサドカイ派の人々がやって来ました。ファリサイ派は、律法を守ることに熱心な信徒グループであり、サドカイ派は、貴族階級である祭司グループでした。そのファリサイ派の人々とサドカイ派の人々が来て、イエス様を試そうと、天からのしるしを見せてほしいと願ったのです。
ファリサイ派の人々とサドカイ派の人々は、イエス様がメシア、救い主であることを神様からのしるしによって証明せよと言ったのです。それに対して、イエス様はこうお答えになりました。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には、『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」。
ファリサイ派の人々もサドカイ派の人々も空模様を見分けることは知っていました。しかし、彼らは時代のしるしを見ることができないのです。時代のしるしとは、洗礼者ヨハネの出現とそれに続いて現れたイエス・キリストの力ある教えと力ある業のことです。そうした働きを見ていながら、ファリサイ派の人々は、イエス様の力ある業を悪霊の頭ベルゼブルの力によるものであると言っていたのです。
イエス様の力ある業は、イザヤ書35章の預言を成就するメシアの到来のしるしですが、ファリサイ派の人々とサドカイ派の人々はその時代のしるしを見ることができず、神様からのしるしを求めたのです。そのような彼らをイエス様は「よこしまで神に背いた時代の者たち」と呼ばれました。
天からのしるしを求めるということは神様に証拠を求めることです。イエス様は何のしるしも与えられないとは言われませんでした。「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」と言われたのです。ヨナのしるしについては、12章40節で「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」と言われています。ヨナのしるしとは、イエス様が死んで葬られて、三日目に復活されることを表すものです。
祈り
天の父なる神様、イエス様が語られること、行っておられることを見れば、この方が旧約聖書に証しされ、預言されていた私たちの救い主であることが分かるはずなのに、当時の宗教指導者たちは、天からの啓示を知ることも信じることも出来ませんでした。あなたのみ言葉を幼子のような心で受け止め、この恵みのうちに生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。