25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

右側にいる人たちも、左側にいる人たちも、イエス様を「主よ」と呼んでおりますから、ここには、イエス様を主と告白する教会への裁きが記されていると読むのがよいと思います。イエス様は、羊飼いが羊と山羊を分けるように、私たちを右と左に分けられるのです。

そうすると、私は右に置かれる羊だろうか、それとも左に置かれる山羊だろうかと考えると思いますが、先ず右側に置かれた人の気持ちになって、イエス様の御言葉に聞きたいと思います。イエス様は右側にいる人たちにこう言われます。

「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」。

このイエス様の御言葉を聞いて、右側にいる人たちは安堵したと思います。しかし、彼らには疑問に思うところがありました。それで、こう質問するのです。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか」。

おそらく、彼らはイエス様とお会いしたのはこれが初めてであったと思います。私たちもイエス様を直接、この目で見たことはありません。イエス様がどのようなお顔であるのかを知らないです。ですから、もし、私たちが、イエス様から「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせてくれた」と言われれば、「はて、それはいつのことであろうか」と疑問に思うと思います。

そのような疑問に対して、イエス様はこう答えられます。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。イエス様は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのはわたしにしてくれたことなのだ」と言われるのです。

ここで言われている「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人」とは、一つにはイエス様から遣わされた福音宣教者たちのことです。もう一つは福音宣教者に限られず、「すべてのキリスト者」と考えることも出来ます。さらにもう一つはこの社会にあって弱い立場に置かれている人たちと考えることが出来ます。

いずれにしても、イエス様はあなたの隣人を愛しなさいと言われました。いろいろな違いを超えて、私たちが出会う人たちを愛することが主のみこころなのです。

祈り

天の父なる神様、私たち自身罪を犯し、様々な弱さを抱えている小さき者のひとりに過ぎない者ですが、このような者をいつくしみ、あなたの愛をもって包んでくださるみこころを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。