衣を裂くのではなく/お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに富み/くだした災いを悔いられるからだ。ヨエル2章13節
あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
聖書を読むと、過ちを犯したときや、神に悔い改めの祈りをささげるときなどに、衣を引き裂くということがありました。中には、わざと、その信仰深さを人に見られるために衣を引き裂いて祈るということもよくあったようです。
しかし、神はそうした人たちの見た目だけでなく、心をご覧になるお方です。見せかけの信仰深さという偽善について、主イエスも次のように指摘しておられます。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」(マタイ23:25~28)
表向きはきれいに装っても内側は汚れているという姿は、私たちにもあることではないでしょうか。人に見られることを意識すれば外側をきれいにすることで済むことがあるかもしれませんが、神に見られることを意識すれば、内側をこそきれいにすることが大切なことです。
ヨエルが、「心を引き裂け」と言ったこと、そしてマタイが、「杯の内側をきれいにせよ」と言ったのは、真心からの悔い改めをもって神の前に出ることを教えています。
祈り
天の父なる神様、あなたは真心をお求めになるお方です。真心から神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することが出来ますように、心そのものが清められることを切に願いつつ、心を込めて出会う方々にお仕えすることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。