3:7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

3:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。

3:9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

 

バプテスマのヨハネは、メシアに先立って神によって遣わされましたが、そのメッセージは一言で言えば、悔い改めて神に立ち帰れというものでした。

 

「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」と非常に厳しい言葉をイスラエルの人々に語りました。

 

悔い改めなければ神の裁きが下ると言うのです。今私たちは待降節を迎えていますが、待降節にふさわしい心の態度は、悔い改めることです。私たちがメシアをわが内にお迎えするために必要なことは、先ず、自分自身の罪を正直に認めて悔い改めることです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは、自分が被害に遭ったりすると相手の過ちを指摘するのはやりやすいのですが、自分の過ちに対しては目をつむってしまったり、責任転嫁したり、正直に自分の罪を認めることが困難な傾向にあります。しかし、あなたの前にも、また自分自身に対しても正直なものでありますように。そして過ちに気づいた時には、その過ちをあなたに告白し、あなたに聞き従うものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。