15:1 そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。
15:2 「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」
イエス様がゲネサレトという土地に着き、その土地の病人を癒されたそのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエス様のもとに来てこう言いました。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません」。
私たちは、衛生的な面から食事の前に手を洗うという習慣がありますが、エルサレムからやってきた「ファリサイ派の人々と律法学者たち」が指摘しているのは、宗教的な意味合いでのことです。出エジプト記30章19節以下には、「アロンとその子らは、その水で手足を洗い清める。すなわち、臨在の幕屋に入る際に、水で洗い清める。死を招くことのないためである。手足を洗い清める。死を招くことのないためである。これは彼らにとっても、子孫にとっても、代々にわたって守るべき不変の定めである。」【19~21節】と言われています。
このように神殿で奉仕する祭司に定められていた手を洗うことを、ファリサイ派の人々は、日常の食事にも当てはめたのです。私たちキリスト者にも、食事をいただく時には感謝の祈りをもって食事をいただくという良い習慣があります。
ともかく、ファリサイ派の人々は、昔の人の言い伝えに従って、食事の前にも手を洗い、身を清めてから食事をしていたのです。しかし、イエス様の弟子たちは、パンを食べる前に、手を洗いませんでした。それで、ファリサイ派の人々は、イエス様に、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破っていると非難したのです。ファリサイ派の人々は、昔の人の言い伝えを口伝律法と呼び、記された律法と同じように重んじていたのです。
祈り
天の父なる神様、聖書には記されていないけれども、ユダヤ人のラビと言われる先生方が教えてきたことも、ファリサイ派の人たちは聖書と同じように重んじていて、その教えによってイエス様を非難していました。私たちの信仰と生活の基準はあくまでも記された聖書にあることを覚えて、あなたのみ言葉に聞き従う者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。