そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。ローマ人への手紙12:1

ローマ人への手紙は、大きく2つにわけることができます。前半の1~11章までは救いの教理が語られ、12章からは、救われた者がどのように生きるのかという信仰生活の実践について語られていきます。今日の聖句は12章の初めのところで、ここには信仰生活の基本線が語られていると言えます。

 

「そういうわけですから」というのは、11章までに語られたイエス・キリストによってもたらされた福音とそれを信じる信仰が与えられ、すでに救いにあずかっているのだからということです。

 

罪を赦されるために、旧約の時代には動物が捧げられましたが、それらはみなやがて来るイエス・キリストによる完全な犠牲を指し示すものでした。そして約束の救い主は、私たちを罪と死の中から解放するために、十字架にかかって死んでくださいました。その打ち傷によって私たちの罪は贖われたのです。

 

神によって救われ、その恵みのうちに導かれた私たちには自分自身を神にささげることが求められています。神への捧げものは常に聖いものでなければなりませんでしたが、神が私たちに求めておられることは、ささげものそのものではなく私たちの真心であるといってもよいでしょう。真心は、その生活にも表れてくるものです。

 

1コリント6章で「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(1コリント6:20)と言われているとおりです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたが私たちにもたらしてくださった救いの恵みと愛に、私たちはどのように応えていくことができるでしょうか。新たな思いで、あなたに受け入れられる自分自身をお捧げすることができますように御霊によって用いてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。