22:21 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 22:22 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

 

イエス様は、「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」と問う彼らの悪意に気づいて、「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか」と言われました。そして、「税金に納めるお金を見せなさい」と言われるのです。彼らはデナリオン銀貨を持って来ました。するとイエス様は、「これは、だれの肖像と銘か」と問われます。当時のデナリオン銀貨には、皇帝ティベリウスの横顔の肖像と、「ティベリウス・カエサル、神聖なるアウグストゥスの子、最高の大祭司」という銘が刻まれていました。

 

それゆえ、彼らは「カエサルのものです」、「皇帝のものです」と答えたのです。彼らは、「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」と問いながら、皇帝の支配の恩恵にあずかり、税金を納めていたのです。

 

イエス様は、彼らの「皇帝のものです」という言葉を受けて、「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われました。イエス様は「皇帝のものは皇帝に返しなさい」という言葉に続けて、「神のものは神に返しなさい」と言われました。

 

この言葉には、皇帝は神ではないということが暗に示されています。硬貨には「日本国」と刻まれており、紙幣には「日本銀行券」と印刷されています。このことは、私たちが日本国の恩恵にあずかっていることを表しています。そして、日本国の恩恵にあずかっている以上、私たちには税金を納める義務があるのです。

 

「神のものは神に返しなさい」はどうでしょうか?そもそも神のものとは何を指しているのでしょうか?神様は私たちが生きるために必要なあらゆるものを与えて下さっています。この世の生を与えられたのも神様のおかげであり、私たち自身も神のものとして創造されたのです。

 

たくさんのものを神様から与えられているのであれば、当然いただく一方というのではなく、神様にお返しすることが求められていることです。「神のものは神に返す」とは、私たち自身を神にささげることです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちのいのちも、私たちが生きるために必要なあらゆるものを与えて下さり、今日も養って下さる恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。