4:36 たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、
4:37 持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

慈善事業として寄付をすることと決定的に違うことは、それが主イエス・キリストの使徒たちの足もとに置かれたということです。神殿に例えれば、これは祭壇に供えたことと同じことです。

ですから、土地や家を売ったお金は、貧しい人々のために使われるのでありますが、それは神への献げもの、献金なのです。土地や家を売った者たち、彼らが献げたのは、何より主に献げたのです。使徒たちの足もとにおいたということはそういうことです。

そして、貧しい人々も、それを他でもない主からのものとして受けるのです。富める者と貧しい者の間に、主イエスがおられる。富める者は、それが主の御心であると信じ、土地や家を売り、その代金を使徒たちの足もとに置いた。そして、貧しい者も、生活に必要なお金を、主からの恵みとして受け取ったのです。

このように見ていくと、ここに記されていることが、慈善団体とは一線を画す、主の祝福だけが形づくることができる交わりであることが分かります。使徒たちからバルナバと呼ばれるヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持ってきて使徒たちの足もとに置きました。

使徒たちの足もとに置くことは、神にささげることを意味しています。そのことを知っていたがゆえに、バルナバたちは、強いられてではなく、自発的に畑の代金を使徒たちの足もとに置いたのです。

祈り

天の父なる神様、初代教会の弟子たちは、神を信じるがゆえに、自分の持ち物を神にささげ、神の家族としての信仰共同体を造り上げていきました。私たちもそのようにあなたによって与えられた恵みを覚えて、自分自身や持ち物をあなたに捧げて生きることができますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。