12:20 わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。
12:21 再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。
パウロは、コリントの教会に三度目の訪問をしようとしていますが、今度コリントの教会の人々に出会うに際して、心配に思っていることを告白しています。「そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。」と言うのです。
教会を建て上げた頃には、この教会に集まった人たちは心を一つにしてパウロを歓迎していたのですが、その後偽使徒と言われる人たちがやってきて、パウロの言動を批判し、パウロが伝えていた福音とは異なることを吹聴するようになっていたからです。
実際に、教会の中に「争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがある」という事を人付けに聞いていたからです。「以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。」といって、今なお罪を犯しているものがあれば、まごころから悔い改めるようにと勧めているのです。
祈り
天の父なる神様、真心をもって、あなたのみ言葉を聴き、あなたの御心を求めて生きることが出来ますように。私たちをキリストにふさわしいものとして整え、あなたの僕として歩むことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。